学院70周年記念式典・第50回真間祭開催される

錦秋のシーズンを迎え、短大キャンパスも木々の紅葉が美しく夕日に映えています。学院創立70周年記念式典・祝賀会や真間祭など大きな行事も終わり、学生の皆さんにも静かな日常が戻ってきていることと思います。多くの2年生はそれぞれの学科、専攻ごとに学外実習に出かけており、先生方も実習先のご挨拶まわりで東奔西走していただいております。1年生にとっては2年間で最も落ち着いて学習に励める時期ですので、充実した日々を送っていただきたいと思います。

さて、11月2,3日、短大真間祭が開催されました。学生の皆さんの気合も十分で、学院創立70周年、そして第50回真間祭にふさわしい学園祭となりました。今年は“「真」-2010”という共通テーマでしたが、「学生の学生による学生のための学園祭」が企画実行に移され、天候にも恵まれ、絶好の学園祭日和となり、にぎやかに楽しそうに活動する学生のみなさんの姿に感動いたしました。「真」とは学生の真の姿、真の気持ちを表したかったのかな、と今では思っています。毎回私が申しております「学園祭は遊びと学びのコラボレーション」の趣旨もよく浸透していて大変うれしく思いました。

 それに先立つ10月24日、昭和学院は創立70周年の記念式典・祝賀会が盛大に行われ、大勢のお客様がお祝いに駆けつけてくださいました。完成した学院キャンパスも見学していただき、新生昭和学院をご披露することができました。その前日の23日は学内式典が行われ、短大も体育館で昭和学院創立70周年、昭和学院短期大学60周年式典を開催いたしました。その際の学長式辞の要約をここに記します。

【創立70周年記念式典学長式辞】

学院創立70周年にあたり、ここに学院の歴史を辿ってみたいと思います。

昭和学院は昭和15年1月にここ市川の地に、昭和女子商業学校として発足いたしました。昭和学院の創設者は伊藤友作先生とおっしゃいますが、友作先生は明治14年生まれで昭和39年に83歳で亡くなられるまで教育一筋に生きた方です。公立中学校で教師・校長を歴任した方でありますが、公立の学校では自分の理想とする教育ができないとして、60歳のときに私財をなげうってこの地市川に私立の学校を設立いたしました。創立に当たり掲げた教育理念は「明敏謙譲」の4文字であらわされる人間作りでありましたが、その建学の精神は時代が変わり、人間の価値観は多様化しても、変わることのない不易なもので、現在まで校訓として脈々と継承しているのです。

開学した昭和15年という年の時代背景は、昭和12年に中国大陸ではシナ事変が勃発、日中戦争へと発展した時代、そして昭和16年12月8日真珠湾攻撃で始まる太平洋戦争の1年前にあたります。戦争が拡大していく時期で、軍靴の音も高らかに軍国主義、思想統制など暗い時代でありました。平和な時代とは違い、学校創立は並大抵の努力でではなかったかと推察されます。

また、友作先生は、日本の将来のためには、女子の教育が重要であると考え、これからは女子も世の中に出て活躍すべきで、そういう時代が必ず来るとの思いから、女子の職業教育である商業学校をたてられたということ、これは、良妻賢母を良しとする当時の世の中の風潮から考えれば画期的なことで、男女共同参画社会を迎えた現在から考えると、まことに先見の明があったといえるでしょう。

昭和20年、日本は敗戦を迎え、すべてが塗り替えられ、平和日本、民主国家として再出発いたしました。特に教育改革が進められ、昭和22年に、教育基本法、学校教育法などが制定されました。それに伴う学制改革(6・3・3・4制の学校制度)により、昭和22年昭和学院中学校、23年に昭和学院高等学校が開校し現在に至っています。

短期大学の基になりました昭和女子専門学校が昭和21年に設立され、そのときは経済科と被服科の2学科だったそうです。

昭和25年3月、その専門学校が短期大学として認可されまして、ここに昭和学院短期大学が誕生いたしました。短大は今年創立60周年を迎えたわけです。短期大学制度ができたときに生まれた、最も古い短期大学のひとつで、国文科と被服科の2つの学科がありました。当時はまだ短大が全国的に少ない時代でしたから、関東地方はもちろん、北海道、東北、新潟県あたりからたくさんの学生が入学してきました。そして遠くの地方からきた学生さんたちはみな寮生活をしていました。一時は200名もの寮生がいたとのことです。当時、女子が短期大学まで行って勉強をするということは特別なことでしたから、みな寸暇を惜しんで勉強し、実力をつけて卒業して行ったのです。そして多くの学生は使命感を持って郷里に帰って教師になったり、その地方の仕事についたりして郷里のために一生懸命尽くされたといいます。明日の創立記念式典には、卒業生が100名以上お祝いに駆けつけてくれることになっています。

話をもとに戻しまして、昭和33年4月に、昭和学院栄養学校が開校されました。その後の昭和51年に組織変更して昭和学院栄養専門学校に校名を変更いたしました。平成5年、短期大学の被服科を生活文化科と科名変更をいたしました。

また平成12年には、栄養専門学校を短期大学に組み入れて、ヘルスケア栄養学科となりました。

そして平成15年に、生活文化科を人間生活学科に改組してその中に「生活文化専攻」と「人間発達専攻」の2専攻を設けました。その人間発達専攻は、今年から「こども発達」と改称され、生活文化専攻も来年から「生活クリエイション専攻」に名称が変更になります。今、皆さんはそれぞれの学科、専攻に所属し、それぞれの専門領域を学んでいらっしゃるわけです。

創立記念館として短大キャンパスの隣にある歴代の理事長先生のお宅は、昭和初期の住宅だそうで、宮大工が丹念に作った由緒ある建築物で今後市の保存文化財となる予定だそうです。そこに住まわれた3代に渡る理事長先生たちのお人柄をご紹介いたします。まず創立者の伊藤友作先生は、「父は、強健な心身を持ち、逆境にくじけることがなかった」と、長男一郎先生が創立60周年の記念誌で述べていらっしゃるように、質素と誠実を生活信条にされ、余生をひたすら学校づくりに専念されたとのことで、昭和学院の基礎を作られた方であります。市川市の教育文化に尽くされた功績で、画家の東山魁夷さんと並んで、名誉市民の称号を贈られています。勤勉実直な方であったようで、理事長の地位にあったときにも朝早くから、校庭のお掃除をされ、用務員さんと間違えられたという言い伝えが残っていることからお人柄が偲ばれます。

2代目の伊藤一郎先生は、平成15年3月に85歳で亡くなられるまで、生涯現役を貫かれ、60年あまりを本学の教育に捧げた方であります。東大法学部をご卒業後、法律家か大学教授を夢見ていた先生でしたが、父君友作先生のたっての願いで昭和女子商業学校の教師となり友作先生を助けて、学院の発展に力を尽くされたのです。友作先生が昭和学院の黎明期を作った人とすれば、伊藤一郎先生は学院を大きな発展に寄与された方です。

昭和40年に理事長に就任されるや、教育の理想を次々と実行に移され、昭和学院は幼稚園から短大までの総合学園となりました。千葉市幕張には秀英中学校、高等学校を新設し、時代の波に乗って昭和学院は大いに発展いたしました。今日の昭和学院をつくりあげたのは2代目の伊藤一郎先生の力によるものが大きいと思われます。一郎先生は、学校をこよなく愛し、教職員には厳しい方でしたが、学生生徒を大切に思い、ご自分の生活のすべてを学校に捧げた一生でありました。

3代目の伊藤アヤ先生は、一郎先生の奥様であり、一郎先生在職中は、家庭にあって裏方として支えておられました。昭和学院の母のような存在でいらっしゃいましたが、一郎先生が急逝されました後は、3代目の理事長に就任されました。前向きで聡明な方で、就任直後、全教職員に「魅力ある学校づくり」のための提案を募集されたのです。私たち教職員は、いろいろな提案をさせていただきましたが、先生はできることから実行に移してくださいました。現在進行中のキャンパス計画、伊藤記念ホールはその中の提案の中から生まれたものなのです。88歳になられた今も大変お元気でいつも短大のことを気にかけてくださっています。

現在の理事長は、山本徹先生です。伊藤アヤ先生のキャンパス計画を実現に導き、本年すっかり完成させたのも現理事長先生です。

しかし、これまで築かれた学校の歴史は、そのときそのときの学生・生徒と教職員の努力と父母の方々の支えがあってのことであると思います。現在ここにいる私たちは、それを受け継いで将来につなげていく責任があると思います。

創立記念日にあたり、今一度建学の精神「明敏謙譲」の言葉の意味をかみ締めてみていただきたいと思います。明敏謙譲は昭和学院全体の校訓でありますが、その発達段階に応じて解釈は違っています。短期大学では、卒業後にはほとんどの方が社会に向かって羽ばたいていくことを考え、「明敏」とは、活力をもって未来を拓くこと、「謙譲」とは、英知をもって社会に生きること、と意味づけています。しかしそれぞれ別々の意味ではなく、両方が合わさって本来の意味するところとなるのではないかと思います。

私は、この「明敏謙譲」という言葉は、1970年に開かれた大阪万博のテーマ「進歩と調和」に相通ずるものがあると、いつも思います。科学技術の著しい進歩は、調和を忘れると、環境破壊などマイナス面も現れます。明敏謙譲の精神も、自分の道を切り開いていくとき、自分本位であったり、個性という名のわがままであったりしてはいけない。周囲に配慮し、社会や地域の皆さんとともに調和して歩む人、人のために役に立つ人、そのような人間であってほしいとのメッセージではないかと思っています。したがって建学の精神が目指す人間像は、

自分の将来を見据え生き生きと歩む人間

しなやかな感性を持ち、個性あふれる人間

豊かな力を備え、社会に有用な人間

社会をともに生きる、調和の取れた人間

そのような人になっていただきたいと願って短大教育が展開されているのです。資格取得教育もその一環ですし、学校行事が他の大学より多いのも社会をともに生きる調和のとれた人となるために、企画力やコミュニケーション能力、協調性を養っていただきたいから設けているのです。

今日ここにいる皆さん一人ひとりが、学院の歴史の一こまを担っているわけで、71年目のページはもう開かれているのです。どうぞ昭和学院短期大学の学生として、そしてまた社会に出てからは卒業生として、しっかりと人生を歩んでいただきたいと思います。

昭和学院の今後の更なる発展を願いつつ、以上をもちまして、創立70周年記念式典式辞とさせていただきます。